作品を発表するごとに話題を呼ぶ監督、園子温。近作は連続でベルリン、ヴェネチア、カンヌといった世界的な映画祭に出品され、2011年は『冷たい熱帯魚』『恋の罪』で日本国内の賞を総ナメにし、『ヒミズ』で主演のふたりに第68回ヴェネチア国際映画祭マルチェロ・マストロヤンニ賞をもたらした。その園監督が実際に被災地で取材を重ね、見聞きした事実をもとに描かれる本作は、フィクションでありながら、未曾有の事態に巻き込まれた人々の“情感”を克明に記録し、“生”や“尊厳”を鮮やかに描写する。
主人公の小野泰彦には、日本映画にその足跡を残してきた名バイプレイヤー・夏八木勲。泰彦の妻・智恵子に、『ツィゴイネルワイゼン』を始め、数多くの名演を披露してきた大谷直子。このふたりの熱演が深い感動を呼ぶ。息子の洋一には日本映画に欠かせない俳優・村上淳が扮し、その妻・いずみを園作品の常連・神楽坂恵が演じる。鈴木家の父と母にでんでんと筒井真理子、その息子と恋人に清水優と梶原ひかり。セリフや出番の少ない役柄ながら、園監督の呼び掛けに応えて、伊勢谷友介、吹越満、占部房子、大鶴義丹、田中哲司らが出演しているのも見逃せない。
10月20日公開を前に園子温度監督が来名! 名優たちの力強い演技に支えられ、日本映画史に残るマスターピースとなるであろう本作の撮影エピソードを語ってくれた。
映画は巨大な質問状で、答えを出すのは観客それぞれです

▷▷原発をめぐるドキュメンタリーは多く作られていますが、あえて劇映画を撮られたのは?
「ドキュメンタリーって映っているものが本物だから、全てが事実のように見えますけど、ちょっと違うんじゃないかとずっと思っていました。僕だってこうして取材を受けて緊張しているんだから(笑)。被災地の人もテレビカメラが回っていたら、後であんなこと言ってたって言われたくないって思うだろうし。だから取材ではカメラもテープも回さずに、酒を飲みながらポロッと出る本音を拾っていくようにしたんです。もう1つ重要なのは、ドキュメンタリーは“~だった”と過去形で語られるから、観る側は客観的に観られて、情報を知識として納得する。でもドラマなら原発問題を感じることができる。時計をもう1回戻して、震災の1時間前から同じ時間軸の中で実体験させるのがドラマの力だと思うんです。被災者の方に取材をしていくと、出てくるのは悲しかった、寒かった、辛かった、怖かったという感情でした。これは本にはならないけど、ドラマにはできると思ったんです」
▷▷社会派でありながらエンターテインメントに昇華している映画だと思いました
「原発ある、なしっていうテーゼで語り合う難しい映画ではなくて、実際に体験して欲しいと思って。映画には脱原発のメッセージも何も織り込まず、起きた事実だけをニュートラルに撮りました。脱原発映画だと思われたくないんですよ。“原発って何なのかよくわかんない”“あってもいいんじゃない?”と思っている人たちにこそ観て欲しい。そして実際に悲しんでいる人たちと一緒に体験することで、感情で物事を判断できたらいいなって思います」
▷▷答えを観客に委ねる?
「そうです。映画は巨大な質問状であって、答えを出すのは観客それぞれ。強制した答えはひとつもない。それが映画の力だと思います」
▷▷シナリオはどのように作ったんですか?
「最初のうちは原発関連の本を読んだり、ドキュメンタリーも観ましたけど、東京の自分の部屋でシナリオを書くようじゃダメ、取材した中のことだけで作る気持ちがないと誠実じゃないと思って。去年の8月から12月頃まで6ヶ月ぐらいあちこちの町を取材しました。ちゃんと向き合って、空想や想像力をなるべく使わないようにして台本を作ったんです」
▷▷ひとつの家族を中心にした訳は?
「原発事故によって家族がバラバラにならざるを得なかった話にしようと、取材しながらモチーフを探していたんです。そこで偶然、南相馬市の鈴木さん宅を発見しました。自分の家なのに20キロ圏内と圏外で庭が真っ二つにされて、圏外の庭はキレイに花が咲いているのに、圏内の方は手入れができず花が枯れていた。それから家族6人で住んでいたのが3人になっちゃったという話を聞きました。この家族をメインに物語を書こうと思いました」
▷▷三世代の流れを作ったのは?
「高齢の方々は、今後癌や白血病になる恐れより、後10年か20年生きられるなら、避難せずに住み慣れた家にいたいというほうが多いかもしれないし、30代の夫婦ならこれから子供が産まれることを考えて、町を出ていくか、出て行かないかが問題になる。そして10代は何が何だかわからず、大変なことが起きてるという発想。世代ごとに考え方が違いますからね。三世代は出さないと、ちゃんと描いたことにならないと思いました」
▷▷大谷直子さん演じる智恵子を認知症という設定にした理由は?
「智恵子は福島で取材した特定の人ではなく、取材したエピソードのピースを重ねた登場人物です。智恵子が言う“帰ろうよ”は、認知症の人がよく口にする言葉。僕の母も認知症でよく“帰ろうよ”と言うんですが、一度、真剣に帰ってみようと、母の実家があったところや、小学校の通学路に行ったら“違う、違う”と。僕には本当の気持ちはわからないので、何を指しているのか謎のままなんですけど、きっと過去の思い出の中に帰りたいんでしょう。シナリオに“帰ろうよ”という言葉を取り入れたのは、原発がなかった頃に帰りたいのか、もっと幸せだった頃に帰りたいのか、色々な意味に取れるだろうと考えて。それに、原発事故という想像を絶することが起きたにも関わらず、僕等はみんな慣れちゃって日常化していきますから。智恵子に“えっ?できたの?”“爆発したんだ?”と同じことを何度も言われることで最初に立ち返れて、何回も反復するのもいいなと思ったんです」
目に見えるものは絶望でも、心に灯りを点せばそこに希望がある

▷▷夏八木勳さんと大谷直子さんをキャスティングした理由は?
「酪農家で泥臭くてちょっと逞しい感じの人物ということで、かなり早い段階で夏八木さんに決まりました。大谷さんもすぐに決まって、キャスティングは苦労しませんでした」
▷▷演出はどんな風に?
「今回に限っては、誰に対してもあまり演出していません。あまりイジると自分の想いが入っちゃいますから。それぞれの役者の想いを演技に乗せる方がいいと思って。僕は風景の切り取り方とか、お芝居をしている人をどうカメラで切り取るかなど撮り方に集中していました。いつもはそんなことないんですけどね」
▷▷そういう心境になったのは?
「心境の変化じゃなくてこの映画のスタイルです。恐怖心を煽る映画じゃなく、落ち着いて観て欲しい映画だから、なるべく引き画で、あまり人物に寄らないようにして静かに撮った。逆に今、編集している映画は『希望の国』と同じ人が撮ったとは思えないアクション・ラブコメディになってます(笑)。深刻な映画が続いて疲れたので、おバカな映画が撮りたいなと。問題がこれほどない映画もないだろうというぐらい、ただ笑える映画を撮ったんですよ。それでちょっとガス抜きしました」
▷▷ロケ場所を探すのは大変でしたか?
「僕等が20キロ圏内で見た無人の町を忠実に画面に収めようと思いました。ただ圏内で撮りたいと言ったらスタッフに反対され、気仙沼とか石巻とか、津波の痕の残る町で撮影しました。『ヒミズ』で撮影したところにももう1回お邪魔して。一部、福島で撮った実景も入っています」
▷▷風景と重なる音楽も素晴らしかったです
「マーラーは大好きで、最初からこの曲を使おうと思ってました。このメロディにはすごい曇天の空からふいに太陽が差すような、希望と絶望が出たり入ったりしながら最後は非常にまぶしい光が差してくるイメージがある。聴く時によって絶望が勝ったり、希望が強く感じられたり。自分が取材をしながらシナリオを書いている時とまったく同じで、考えようによっては絶望、考えようによっては希望があった。そういう意味でもこの音楽がよかったんです」
▷▷フィクションならではの映像的表現もありましたが、こだわったところは?
「立ち入り禁止の囲いも、僕等が見て感じたままを表現するために実際より高く大きくしたり、放射能を映像化したり、フィクションの部分はあります。でもフィクションであるがゆえのこだわりは後から付いてきたことで、やっぱり事実を重ねることへのこだわりの方が強かったです。例えば避難所の構造もディテールにこだわって、現地の人に手伝ってもらって作ったんです」
▷▷『希望の国』というタイトルに込めた想いは?
「最初は皮肉を込めたタイトルでしたが、取材をしていくうち徐々に希望そのものでいいんじゃないかと思えるようになってきて。決定的だったのは、大晦日に南相馬の20キロ圏内に入って無人の町を抜け、海で見た初日の出。静かな海から今まで見たことのないぐらい美しい真っ赤な初日の出が昇ってくるのを見て、『希望の国』というタイトルは理屈を超えて文字通りの『希望の国』でいいんだと思って撮影に挑みました」
▷▷劇中の「愛さえあれば大丈夫」という言葉も印象的でした
「目に見えるものに焦点を当てると絶望ばかりが浮かんできますけど、自分の心に灯りを点せば、そこには希望がある。『ヒミズ』の時もそうだったけど、人間は希望なしでは生きていけないから、それが“大丈夫”という言葉になった。なんて普通の言葉なんだろうと思いますけど、それしかなかったんですよ。後は一歩、一歩だってことですね」
今は特攻隊の映画より、原発の映画を撮る方が重要だと思う

▷▷今回の映画は日本、イギリス、台湾の合作で作られたそうですね
「はい。少々ヒット作が続いたから色々な映画会社が“次はうちでやりましょう。過激なのでもいいです。タブーに挑戦しましょう”って言ってくれたんです。“じゃあ原発をテーマで”と言ったら“、誰もいなくなった(笑)。どんなエロでもグロでもタブーでもって言ってたにも関わらず。原発ってそんなにタブーなのかと驚きました。きっと社会的な意見を出したことになるのが嫌なんでしょう。でもアメリカでは進行中の戦争を扱った『ハート・ロッカー』が作られて、堂々とアカデミー作品賞まで獲ってしまう。そう考えると、日本人は進行形のものに触るのを自主的に止めちゃう性質なのかも」
▷▷でも監督はすぐに動いて『ヒミズ』で被災地の映像を撮り、またこの映画公開される。今作らねばという気持ちが強かった?
「なんで今福島の映画作るの?ってよく言われますけど、逆になんで今、作らないのかと思う。10年後、総括して“あの頃、こうだった”なんて映画を作って何になるのかよくわからない、やっぱり今、作らないと。この映画は2012年内に、本当はもっと早く公開したかったぐらい。今、発信しないと間に合わないような気持ちがあって。早く作って早く出すのがテーマでした。今、特攻隊や戦争の映画を撮るより、原発の映画を撮る方が重要ですよ。ものすごい数の人が避難している訳だし、スペクタクルに撮ろうと思えば撮れるんですから。こういう映画を作ると福島を食い物にしてるというようなことも言われますけど、やるかやらないかしかないんです。そしてやるんだったら、遠くから応援してますっていうものじゃなくて、誰かが傷付くかもしれないと恐れを抱きながらでも、被災地まで行って徹底的に撮るしかない。大体、被災地で撮ったことを色々と言うのは被災地の人じゃなくて外の人です。忘れたいからっていうのも外の人で。忘れられる人は、画面にさえ映らなきゃ忘れられる。でも被災地の人は忘れたくても忘れようがないので、むしろ記録に残して欲しい、風化することの方が怖いって言いますよ。今、起きている進行形を撮ることへの葛藤は自分の中にもありますけど、今は葛藤があるからこそ撮る意義があったんだと思います」
▷▷撮影中、苦しいこともあった?
「僕も日本人ですから“大丈夫ですよ”と言えない状況で取材を重ねる辛さはありましたし、被災地でこの映画を上映した時も非常に辛かったです。事実を重ねていくということは、結論がどこに向かうかわからないし、もし絶望しかない映画になったらどうしようって不安もあった。もともとこれは原発事故があったから撮っているだけで、無かったら撮らなかった、できれば撮りたくない映画です。でもこれからも撮り続けざるを得ないでしょうね。次の作品はもう7月から撮影を始めていますが、早くこういう映画を撮らなくて済むような状態になればいいなと思います」
▷▷映画を観た被災地の方の反応は?
「(モデルになった)鈴木さんのお宅でも上映会をして、非常に緊張しましたが、“全部、自分が体験してきたことと同じで、自分が辿ってきた道を思い出しながら見ました”と言われた時に、よかったと思いました。気仙沼で上映会を行なった時も3月11日以降、自分の家があった場所に立ち寄りたくなくて、引きこもっていたお母さんが“映画を観て解放された。被災地も歩けるようになると思う”と言ってくれて。それだけでも作った意義はあると思いました」
【TEXT=尾鍋栄里子】

★『希望の国』10/20(土)→ミッドランドスクエアシネマほか
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