インタビュー
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妻夫木聡、石井裕也監督『バンクーバーの朝日』会見
戦前のカナダで活躍し、2003年にカナダ野球殿堂入りを果たした日系移民の野球チーム「バンクーバー朝日」の実話を、「舟を編む」の石井裕也監督が妻夫木聡を主演に迎えて映画化。19世紀末から戦前にかけて、貧しい日本を飛び出し、一獲千金を夢見てアメリカ大陸へと渡った日本人たち。しかし、そこで待ち受けていたのは低賃金かつ過酷な肉体労働と人種差別……、そんな中、日本人街に誕生した野球チーム「バンクーバー朝日」は、フェアプレーの精神でひたむきに戦い抜き、そんな彼らの姿は日系移民たちに勇気や希望をもたらし、白人社会からも賞賛と人気を勝ち取っていく。キャストには、妻夫木聡のほか、亀梨和也、勝地涼、上地雄輔、池松壮亮が「バンクーバー朝日」チームメイトを演じる。その他の共演に高畑充希、宮崎あおい、佐藤浩市ら豪華キャストが顔を揃えた。
今回、公開前の名古屋キャンペーンに、主演の妻夫木聡と石井裕也監督の2人が来名。本作に寄せる想い、撮影エピソードが語られた!
INTERVIEW
どう演じるかより、その場所で
生きることを考えた(妻夫木)
▷▷ “バンクーバー朝日”の物語を映画化するにあたって苦労したところは?
石井裕也監督(以下:監督)「最初に苦労したのはオープンセットです。この映画は日本で撮ったんですけど、カナダ・バンクーバーの風土や空気など、日本とは異質の世界を日本で作りあげるのは非常に難しくて。よく日本を舞台にした映画を海外で撮って、大変なことになっているケースがありますけど(一同笑)。不快な思いをするようなものになる危機感があったので、バンクーバーの現地の方が観ても楽しめる、納得できるクオリティにしないといけない。そう自分たちに課したハードルがあったので、そこはクリアしないといけないと思っていました」
▷▷調べていくなかで気付いたことは?
監督「朝日という存在がなんだったか?っていうことですね。あの時代のあの世界の中で、朝日しかなかった、朝日の存在がものすごく大きかったというのは、資料を読めば読むほど明確になっていきました」
▷▷ “バンクーバー朝日”の活躍の裏に、色々なテーマを見ることができました。監督が特にこだわって描きたかったのは?
監督「一番コアになるのは、どうにもならない世の中で、朝日の選手たちがいかに勝ち上がったかですけど、朝日のプレイ、一生懸命なひたむきな姿を見て、何かを感じとる街の人たちも重要でしたし、なかにはカナダ人のお客さんたちもいた。一方では朝日がどうにかできる現実とできない現実、戦争だったり、排斥だったりがあって。何か1つとは言えない本当にあらゆる要素が入っている映画なので、それをバランスよく見せることにこだわりました。できたのかはわからないですけど」
▷▷レジーは内に秘めた熱さ、周りへの優しさがある魅力的なキャラクターでした。演じる上でこだわったところは?
妻夫木聡(以下:妻夫木)「どう演じようというのはあまり考えていませんでした。演じることを忘れるぐらいに、その時代を生きることに重きを置いて、僕自身が存在しなきゃいけないという意識があって。映画は当然、作り物なんだけど、僕等はそれを真実に変えなくちゃいけない。ただ感動してもらいたいということよりも、言葉にならないもっと重要なものがあるはず。その言葉にならない想いを伝えるために、僕自身が自分の存在を捨てて、その場所で生きるということを考えて。今回はそういう難しいところにトライしていると思います。僕がレジーを操るのではなく、僕自身がレジーになって行動するというのかな。演じることを信じることが、重要だったのかもしれないですね。自分がやることに疑問を持つ時点でそれは妻夫木聡だし、レジーになっているのであれば疑わないはず。その中で監督に支持されたことをやるのは当然ですけど、自分のやっていることを信じることが一番、重要で。感情の起伏とか、計算とか、あまり考えてなかったんです。この伏線があったからこうなったとか、そういうことで物語っちゃいけない作品だったのかなと感じています」
▷▷レジーたちの過酷な状況は理解できましたか?
妻夫木「今、僕等が知っているのは過去のことで、その1日1日を全部記したものは存在しないんですよね。全部をまとめた資料しか知らないし、その資料自体も生き残った方たちが証言したことで出来上がっているのであって、すべてではない。当時は差別が多かったというけど、逆にあまり差別は感じなかったっていう人もいるんです。だから何が正しいのかはわからないし、後から知る僕等はその人たちはこういう想いで生きていたって勝手に想像するけど、実際にそう想いながら生きてなかったと思うんです。“差別なんかくそくらえー!”って気持ちで野球をやっても全然面白くないと思うし。大変な状況でも意外と普通に生きていたんじゃないんですかね」
▷▷おふたりは『ぼくたちの家族』に続いて2本目のタッグとなりますが、監督が感じた妻夫木さんの役者として魅力は?
監督「幾つもありますよ。本人がクールなのであまり感じないかもしれないですけど、本当にがむしゃらにひたむきに真っ直ぐ生きてくれるんです。ああいう芝居やって、こういう芝居やってというよりは、全力で存在しようと務めてくれるので、本当に信頼できますし、映画が強くなる。もっとこうした方がいいっていう意見は僕から言えますけど、全力でひたむきに生きてくださいっていうことは、わからない人に言っても伝わらないので。特に今回の映画ではそれを感じました」
野球が好きだって気付いてから、
朝日になれた気がした(妻夫木)
▷▷野球はどんな練習をしたんですか?バントなんかは難しいと思いますが。
妻夫木「バントは結構、早い段階で当てられるようにはなってました。たぶんイレギュラーで当たったことがないからだと思うんですけど、硬球ボールに対しての恐怖心が意外となく、恐いもの知らずでできたんですよね(笑)。バッティングセンターで延々バントだけをしていたら、周りの少年たちから変な顔で見られて、仕方ないから打ってみたり(笑)。そんなこともやってましたけど、それよりも重要だったのが守備です。実際の朝日軍も守備は本当に上手だったらしいので、野球指導の方にお願いしたり、自分で壁に当てて捕球したり、とにかく守備の練習を頑張りました」
▷▷役柄のように野球の楽しさは実感できた?
妻夫木「(朝日のメンバーの中で)僕だけあまり野球の経験がなかったので、追いつかなきゃいけない、追い越さなきゃいけないって思っていました。でもケガをしてちょっと野球ができなくなった時に、悔しさや焦りより、野球がやりたいと思う自分に気付いて。いつの間にか野球が生活の一部になっていて、野球が好きなんだなって気付けた時から、朝日といる時間を大切にしようっていう意識が生まれました。みんなもちゃんと野球に向き合えてる僕を見てくれたのか、その時から朝日になれた感じました。僕の勝手なイメージですけどね」
▷▷監督が野球のシーンでこだわったところは?
監督「もちろんクオリティの高い、エキサイティングな野球を見せるのは大前提ですが、映画の中における野球は表現としては非常に難しいんです。2時間野球映画を観るより、2時間本物の野球を観ている方がハラハラドキドキするし、面白いんじゃないかっていうことですよ。じゃあ映画で描ける野球の面白さ、勝算は野球の前後にドラマを作れること。どういう姿勢で、どういう表情で野球の試合に臨んでいるか。野球って非常に間のあるスポーツ。プレイは一瞬で間が訪れて、選手と選手が対峙している時間がまた訪れて、その時にどういう表情で打席にいるか、どういうつもりで守備についているか、今回はそこをじっくり見せていくことが重要なんじゃないかなと思いました」
▷▷女性たちの存在については?様々な女性が登場しますけど。
監督「ある男がまず先陣を切って移民して、最初は男ばかりの世界を作る。その中でここで生活できると考えた男たちが、地元から奥さんを呼び寄せたりする。でも独身の人たちはかみさんを探せないので、写真婚をしたんです。つまり自分の写真を送って、向こうの写真も送ってもらって、お互いによかったら新たに移民していくっていう。で、割と詐欺もあったらしくて、イケメンの他人の写真や、全然関係ない金持ちの家の前で撮った写真を送ったり。実際に女の人がきてみたら全然話しが違ったとか、そのまま女郎屋に売られるケースもあったり、当時のバンクーバーの世界で女性の立ち場は大変なものだったんです。ただ色んな文献を読んでいくと、日本の女性はものすごく逞しくて。不平不満を言う人や逃げる人ももちろんいるんですけど、基本的にはがむしゃらに働いて、子供を育てて、逞しく過ごしていたというエピソードをよく目にしました。そんな強い女性は妻夫木さん(レジー)のお母さん(石田えり)で描こうと思いました。裏設定としては、たぶん誰も気付かないと思うんですけど、冒頭で移民船が到着するシーンでカナダの街を見ている不安そうな女の子が、その後、一体どうなるのか。もしかしたら本上まなみさんが演じた娼婦になっていたかもしれないし、宮ヵあおいさんが演じた日本語学校教師みたいになっていたかもしれないし、あらゆる可能性が考えられる。ちょっとした縁とか、ちょっとした出会いで、身を持ち崩す人もいれば、ちゃんと生活できていく人もいるっていうような想いがありました」
▷▷女性たちは大変な目に遭いながらも逞しく生きていたんですね。
監督「はい。日本人は概ねカナダ人から差別されてますけど、日本人会館のシーンで“女は黙ってろ!”ってやり取りがあったように、人を見下すような感情はあらゆる人が持っていて、ちょっと状況が変われば差別者にもなるし、非差別者にもなる。そういう意味では当時の女性は相当大変だったと思いますね」
▷▷女性を描く上で気をつけた点は?
監督「僕は女じゃないので、どの映画でも女の人を描く時は非常に気を遣います。たまに女心がわかってるねーって言われることがあるんですけど、そう言ってくれるのはオジサンなので(笑)。あくまで僕の想像ですけど、その人の気持ち、その人の立場に立って描く。もちろん男の人を描く時でもそうで、気を遣いますよ」
今まで試行してきたものをやり切れた
手応えがあります(監督)
▷▷名古屋人としては、理髪店の店主が名古屋弁を話していたのが印象的でした。あれはどうして?
監督「移民は1人出るとその人たちが親戚、友だちを呼んで、ある地方の人で固まる傾向があるんです。バンクーバーの日本人街は最盛期には1万人以上がいるかなり大きな街で、色んな地方から人が来ていて、色んな方言が飛び交っていたらしいんですよね。特に最初の時期は。そうすると、同じ日本人なのに方言が強すぎてコミュニケーションが取れない。英語も喋れないのに、方言もわからない事態も起こっていたというエピソードがあったので、色んな地方の方言をいれて、小さな日本、日本の縮図みたいなものを作れると面白いなと思ったんです。でも1人ひとり方言の指導をしていくのは大変なので、(佐藤)浩市さんと石田えりさんの広島弁以外は、使える方言があればその人の地元の方言を使いたいと思ったんです。その上で考証して、当時の言葉に置き換えて、昔の言葉にする作業はしたんですけどね」
▷▷ではあの役の方が?
監督「愛知県出身です」
妻夫木「俺も今、知りました(笑)。そうだったんだ」
▷▷映画『バンクーバーの朝日』はおふたりにとってどんな存在ですか?
監督「これがエンターテインメントだっていう、今まで僕が試行してきたものをやり切れた手応えというか、自負がありますね。観客のみなさんに押し付けるような感情じゃなくて、能動的に感じとってもらえたり、考えてもらうという。額面通りに受け取ってもらっても単純に楽しめるんだけど、もっと深い映画を作れたと勝手に思っています」
妻夫木「映画って公開して初めて映画になると思うので、今はまだどういう存在なのかわからないですね。まだ自分の子供が巣立っていない感じというか、まだ温めている感じです。今はドキドキワクワクの気持ちが一番強いです」
▷▷撮影を通して新たに発見したことは?
妻夫木「シンプルなんですけど、目の前のことに一生懸命になるのは、とても大切なことなんだって改めて気付かされましたね。朝日軍のみんなは野球があったからこそ、この国に生まれてきてよかったって想いでいられたと思うんです。どんなに過酷な状況でも、辛い毎日であろうとも、そういう小さな幸せのおかげで、意外と幸せを感じて生きてたんだろうなって。現代みたいに選択肢が色々あって、やりたいことがわからないって悩む前に、目の前にあることに一生懸命になる気持ちを忘れちゃいけないと思いました」
TEXT=尾鍋栄里子
『バンクーバーの朝日』
12/20(土)→ミッドランドスクエアシネマほか
(C)2014「バンクーバーの朝日」製作委員会
2014年12月9日火曜日
INTERVIEW&REPORT